メインメニュー


ログイン
ユーザ名:

パスワード:


パスワード紛失

新規登録


姉小路界隈を考える会 平成十七年度総会記念講演会

「こころの健康 からだの健康 まちの健康」


京都大学名誉教授 泉 考英

一、健康とは


WHOの「健康」の定義(一九四八年)


 このすぐ近くの中央診療所の医師をしております泉と申します。今日は健康ということについて、お話をしたいと思います。健康というのは、字引を引いてみると、「身も体も健やかなこと」と書いてあります。確かにその通りなんですが、健康の定義というのは、昭和二十三年にWHO(世界保健機構)が定めております。WHOができて最初にした仕事が、健康とは何かということをはっきりと決めることだったわけです。私は当時中学一年生でして、そこに示されたのは、「健康というのは、ただ身体のことだけではなくて、社会的にも健康であるということであって、ただ心身に障害がないというだけではない」というものだったと記憶しております。この健康の定義は当時施行された日本国憲法と同じように非常に新鮮なものとして受け止めた覚えがございます。

「健康」が変わった


今、それから六十年近く経って、ずいぶんと健康に対する考え方は変わりました。と、申しますのも、昭和二十三年当時は、わが国の平均寿命がまだ六十歳に満たない時代でした。六十五歳以上の方は確か5%しかいらっしゃらなかった。ところが今の高齢者人口は、全人口の20%近くになってきています。やはり年をとってくると、どこかしら身体の調子が悪くなるものですが、ではその状態は健康ではないのかという大きな疑問が出てくるわけです。
それからさらに、病気の種類が変わりました。以前は病気と言えば、結核や肺炎であったわけです。日本で始めて死亡統計がとられたのは明治三十二年でしたが、当時の日本人の死亡原因は、肺炎、脳血管疾患、胃腸炎の順であったわけです。今でこそ胃腸炎で死ぬとは、というところでしょうし、もちろんコレラや赤痢といった病気もあるにはあったでしょうが、それよりも何よりも、簡単に言ってしまえば腐った食べ物を食べていたということです。当時、裕福な家には氷の冷蔵庫がありましたが、普通の家庭にはそんなものはありません。そこで食べ物を食べる前に、「これは饐えているのか、いないのか」ということを絶えず確認したものです。実際、子どもの時には結構お腹を壊したものでした。ところが今はどこのスーパーやコンビニでも食べ物には賞味期限というものが書いてあって、それより古いものは食べないものです。また、さらには肺炎も減りました。そんなわけで、病気の種類が急性疾患から慢性の病気になってきたということです。そこで慢性関節リューマチだとか、更年期障害になっている人たちというのは健康ではないのか。慢性の病気は持っているけれども、お商売をしたり、動いている人は、健康と考えてもいいのではないかということです。これは少し大仰に言えば、病者の権利を皆が認識してきたということが言えるかと思います。
それからもう一つ、身体障害者の方々の問題です。以前は障害を持つ方々というのは(今の貧しい国々もそうですが)、同じ仲間として扱われなかった側面がありました。むしろ貧しさゆえに、扱うことができなかったというのが正確かもしれません。しかしわが国も豊かになり、少しずつではありますが、障害を持つ方々に対するバリアも取り払われるようになってきました。
高齢者が増えてきた。さらには慢性疾患の病人さんが増えてきたということ、それから障害者の問題と、この三つが重なってくると、健康というのは、ただ身体が元気だとかなんだとかいうことではなくて、自分がやれる範囲の中で、一生懸命頑張るのであれば、それを健康とみなそうと、言葉の意味が変わってきたということです。それがまず、現在の健康の定義ということだと思います。

二、心の健康

学歴偏重主義と心の健康


心の健康というのは、非常に難しいですね。心の健康と申しましても、精神医の対象になる人は別として、普通に生活しているうえでの問題です。毎日気分よく働けるかとか、不平や不満をもっていないかということです。ここで一番の問題は若者ではないかと、私は思っています。若者が果たして満足して充実して暮らしているかどうか。フリーターやニートといった問題は皆さんよくご承知のことと思います。これはまちの健康ということと関わることだと思うのですが、おそらく今の時代は豊かにはなったけれど、昔に比べて非常にその点では問題が多いのではないかと思います。それは、この戦後六十年何があったのかを考えてみるとわかりやすいのではないでしょうか。皆が学校に行くようになって、学歴偏重主義が出てきました。ともかく一生懸命勉強して少しでも上の学校に行こうというわけです。良い学校へ行けば、良い職業にありつけ、楽をして生活でき、老後は年金で悠々自適に暮らせると、そんなことばかり夢見てきたわけです。しかし、そんな夢は戦後の高度成長で終わった話であって、今はリストラの嵐で、現状の厳しさは皆さんよくご承知の通りです。

ちょっと昔話を―企業体の病院


例えば日本たばこ産業など、近年の禁煙ブームで、かつては四万人いた人が今年の三月の末は一万五千人になって、それが一万人になってしまったという厳しい状況にあります。またこのJTについては、京都の専売病院が武田グループに売却されたという話も新聞に出ておりました。こうした会社の病院は、三菱さんも持っていますし、かつては島津さんも持っていました。なぜこうした会社の病院があったのかと申しますと、昔は健康保険がなかったからなんです。私が大学を出た年に初めて健康保険ができました。ですからそれまでは保険などはなかった。今、三割負担で大変だといいますが、保険があるからこそ、患者さんは助かるし、医者も生活ができるようになったんです。今、皆さんが風邪で来院されると、三千円くらいになるかと思いますが、保険がなくなると一万円になって、風邪くらいでは誰も病院には行きません。そこで会社は病院をつくったわけです。戦前の普通のサラリーマンというのは、非常に給料が少なかった。そのかわり病気をしたら、会社の病院で診てあげましょうという趣旨でできたのが、企業体の病院だったわけです。一番完璧だったのが、鉄道病院でしょうか。日本全国北から南までありましたから。京都の鉄道病院は、今の都ホテルの場所であったと思います。鉄道病院というのは、鉄道員とその家族しか診て貰えなかったんですが、例えば園部の人が鉄道員の家族であったら、月に一度京都の鉄道病院に診てもらいに行くだけで無料パスが出るという特典がありました。
私が医者になった頃のことです。大津から京都に抜ける東山トンネルは、非常に長いトンネルです。ところが大津から上ってくる間、煙を出さないようにして上ってくるために、どうしても馬力が落ちるんです。そこで機関車の前に人が乗って、線路の上に砂をまいて、滑らないようにしていたわけです。その砂をまいていた人、それに機関士も、トンネルを出たとたんに倒れる人が結構いたわけです。そこでトンネルの横に救急小屋がありまして、担架に乗せて病院まで連れて行くということをしていたんですね。そういう仕事があったわけですが、無茶苦茶なことが、わずか五十年前まで行われていたわけです。

―結核という病気


ご記憶の方もあるかもしれませんが、汽車のデッキや駅のトイレにはかならず痰ツボがあったものです。これは昭和三十三年になくなりました。あれはなぜあったかといいますと、結核患者が多いので、そこに痰を落としてもらわないと、うつす心配があったわけです。結核という病気は、五十年前までは国民病と言われたものですが、現在は本当に減ってしまいました。結核で亡くなる人は昔の百分の一、結核という病気にかかる人は昔の十分の一になりました。つまり病気は十分の一に減少したけれども、結核で亡くなるということが、まず無くなったということです。実はこの中京界隈というのは、結構結核が多いんです。多いのは大阪の各区で占め、その次にこの中京区が出てくる。これは昔から中京区には飲食店や旅館が多くて、そういう所でずっと年をとるまでがんばっておられて罹患してしまう。結核というのは、出た結核菌を直接吸い込んで感染するということがあるのですが、それ以外にも一回土に落ちた菌が風で舞い上がり、土ぼこりなどと一緒になって、空気中を漂って入ってくるということがあります。一方で、インフルエンザというのは、直接入ってくることはありますが、いったん土に落ちたものが舞い上がってということはありません。したがってインフルエンザは面と向かって咳き込まれない限り、うつることはありません。江戸時代以前も結核があったのはあったのですが、近代に入ってなぜ結核が広まったのかと言うと、日本に工業化が起こり、工場の寄宿舎に入った女工さんが長時間働かされ、疲労困憊して、そこに結核菌が入ってきて罹患したわけです。現在は結核も減りましたし、実はインフルエンザも減りました。その一番大きな原因として、家が広くなったためであろうと考えられます。戦後私たちの住宅は、一人当たりの畳数では四倍に増えています。昔は狭い所にたくさんいたものですから、次から次へと感染した。結核もインフルエンザも、実はそういうことによって、ずいぶん減る病気なんです。

―マレーシアでの結核治療


東南アジアでも結核がずいぶん減少しました。実は、私は今から三十年くらい前に、マレーシアで結核の治療の手助けをしたことがあります。今、マレーシアというとIT立国ですが、当時は皆大抵ゴム園で働いていて、ゴムの木に空き缶を取り付けて、ゴムを採取し、バケツに入れて運んで帰ってくるという時代でした。ご存知のように、あの辺りはたいていスコールがあります。もともと栄養状態が悪いうえに、雨に打たれて風邪をひいてというところで、結核が蔓延したわけです。ところが患者さんに薬を渡すとだめなんです。渡したが最後、すぐに市場に行って薬を売ってしまう。そこで朝と晩と患者さんに看護婦さんのいるナースステーションに来てもらうことにしました。そこで目の前で薬を飲んでもらって、それを確認してから一合ほど(正確な量は覚えていませんが)の米を渡すんです。そうすることで患者さんは必ず来るようになりました。今から見ればとんでもない話です。そうこうするうちに東南アジアから結核がずいぶんと減るようになりました。

地方の教育県の困ったこと


さて、お話を心の健康に戻しましょう。日本で非常に大学への進学率が高まったというお話をしました。それからみんな大きな会社に入ろう、入って出世を志したまでは良かったのでしょうが、それでちょっと困った事態になっているという、さる地方のお話です。その県では非常に進学率は高く、中央官庁で局長になっている人や一般企業で役員になっている人がずいぶん出ています。それ自体は結構な話なんですが、年をとった地元の親御さんが、取り残された形になってしまっているということです。出世した息子は東京の女性と結婚し、孫たちは田舎など外国のような感覚でしか見ていない、いまさら東京へは行けないしと…。実は金曜日の夕方や土曜日の朝の飛行機には、やむを得ず親を見に帰っている人たちが結構乗っています。お気づきの方はお気づきだと思うんですが、地方の空港の近くには、老人病院が非常にたくさんあります。ですから皆そういった病院に親を入れていて、週末は親の顔を見にいき、また東京に帰って働くと。それが幸せかどうかという話です。
そういう意味では京都はあまりそういう傾向にない。国家公務員の、いわゆるキャリアの人たちは、人口の比率から言うと、京都が一番少ないんです。一つは、京都というまちが、まちなかで生活できているということもあるんでしょうが、ある意味では京都の子どもも親も堅実であるということかもしれません。

大学という矛盾


先日オランダから久しぶりに人が来ましたので、オランダの大学進学率を聞いてみました。そうすると、日本ではすでに大学の進学率は50%近くになっているのですが、オランダではたった5%だというんです。実はオランダもイギリスもスウェーデンも私立の大学というものが全くありません。ではオランダの人たちは勉強しないのかというとそうではなくて、皆職業学校に行くわけです。技術を身につける。日本にもコンピューター専門学校や医療専門学校などができて、大学と学生の奪い合いになっていますが、まあ大学のほうが少しばかり格好がいいだけになっていますね。このように名前ばかりで内容が伴わない、またそんな大学を出たものの仕事もないということが、日本の若者に支障が起こってくる原因になっているのではないかと考えるわけです。もう少し、本来の姿に戻るべきではないかと。ただフリーターやパートに問題に関しては、法律を一つ変えればある程度は解決する問題であるはずなんです。例えばある企業体で使っている人間が百人いれば最低五十人は正社員にしなければならないというふうに労働基準法を変えれば、それで済むことなんです。しかし現実には今の政府は富の格差をはかるような体制になっていますので、一人も正社員がいないようなおかしな会社も存在するわけです。

やさしさと不景気と


実は医者も大変な過剰でして、医者の派遣会社もできております。普通のパートの人と同じように医者の人材派遣会社もあるということです。しかしその先生が本当に満足しているかどうかはわかりません。これが学校をたくさんつくって、医者が過剰になった、一つの現象です。人が足りない間は偉そうなことを言うんですが、働き口がないと皆低姿勢になる。だから皆が優しくて低姿勢になるというのは、景気の悪い証拠であって、良い事なのか悪い事なのかよくわからないですね。

三、からだの健康

高齢者の範疇


さて、ここからは年配の方の健康についてお話ししたいと思います。通常、六十五歳から七十四歳までを前期高齢者と呼び、七十五歳以降を後期高齢者と呼んでいます。私の見るところ、七十五までは大抵の人はなんとか人のお世話にならずにやっていけると思います。それから七十五から八十五までは、頑張らなければ人に迷惑をかけてしまう。それから八十五以上はどう頑張ってみても、人に面倒をみてもらわないとならないというところだと思います。ですから後期高齢者という範疇は、うっかりすると人の世話にならなければならない、あるいは必ず世話にならなければならないということになるわけです。

出来高払いの医療システム


医者である私がこんなことを言うのはおかしいんですが、年配の方が医者にかかる時は用心してかかりなさいよと申し上げることにしています。と申しますのも、今日本は困ったことに出来高払いなんです。だから病人さんが病気してくれるほど、医者の収入が増える。極端なことを言いますと、下手な手術をしてバレなかったら、また収入が増えるという格好になる。こんな不思議なシステムは日本だけなんです。

スウェーデンの医療システム


私はスウェーデンで働いていたことがあるんですが、スウェーデンでは全部医療は国営です。それぞれのまちに医者がいて、そのお医者さんが何人かの面倒を診ることになっています。だいたい四百から五百人というところでしょうか。で、その人たちが病気になると、まず相談して、あっちに行きなさい、こっちに行きなさいと指示してくれるわけです。病院も小病院、中病院、大学病院とあります。スウェーデンは人口が百万人程度なんですが、七つほどの大学病院があって、その下に中病院があって、小病院があってというシステムになっているわけです。またスウェーデンではなるべく薬を使わないようにしていますから、日本では薬の比率が体重に換算すると18%ですが、スウェーデンでは5%くらいになっています。一方でちょっと厳しい話ですが、スウェーデンでは六十五歳を越すと普通の診療所へは行けないようになっています。これは保険がまったく違うからなんです。若い人は普通の健康保険ですが、65歳以上の人と障害のある人は別の保険になっていて、まず看護婦さんのセンターに行き、看護婦さんが病気か病気でないかを判断してから医者に送るということになっている。そうすることによって、医療費を抑制しているんです。

申し上げておきたいこと―/搬里猟柑劼傍せちを合わせる


私はお年寄りの方がお見えになった時に、まずお聞きするのは「何か負担になることをしなかったですか」ということです。年がいってからゴルフに行けば負担になりますよ。お年寄りの負担で一番多いのが孫の守です。孫の守など七十超えたら、したらいかんのです。ですから年配者が不調を訴えられて、まず考えるのは、疲れる原因がなかったか、それをまず除外してみて、その次に考えるのは、歳の変化です。歳の変化でもないことを確かめて、初めて病気ということを考えます。歳の変化というのは、実は二十五くらいから始まっているんです。老化というのはどういうことかと申しますと、人間の身体には何兆という細胞があって、その細胞が歳をとると一つひとつ減ってくる。細胞が減ってくるから、胃も小さくなる、胃が小さくなるから食欲が落ちるのは当たり前。それから脳も実は縮んでくるんです。だから歳をとって一番大事なことは、自分の身体の調子に気持ちを合わせるということです。ただし、これを申し上げるのは七十五歳以上の人ですよ。それ以下の人は場合によっては頑張れと言うこともあります。自分の気持ちに身体を合わせようとするから大変なことになるわけです。

申し上げておきたいこと―△匹海泙能ち兇垢襪里


それと病気になったら、どこまで修繕するかを考えるということです。歳をとればあちらこちら不具合があるのは、ある意味当たり前なんです。例えば病気のときは病院に来て、ありとあらゆる検査をしてくださいという人でも、自分の家がどこか壊れた場合、大工さんを呼んで、ありとあらゆる検査をして完璧に直してくださいとは言わないですね。自分が生きている間、あと十年か二十年もったらいいと言うに決まっているんです。人間のからだも実は一緒なんです。確かに今百歳以上の人が一万二千人います。しかし普通は百歳までというのはなかなか難しい。ですから正直、八十五以上の人が癌の疑いがあっても、私はまず検査ということはしません。検査でしんどい思いをするだけで、その人はもう病人になってしまうわけですから。若い人の癌は進行が非常に早いですが、歳をとるとなかなか癌は大きくなりません。それに歳をとると、手や足が衰えたりするだけではありません。もっと大事なことは、痛みを感じる神経も衰えてくるんです。若い人が癌で亡くなるときは、大変な痛みで本当に気の毒です。ところが歳をとってくると、他の臓器の機能も半分に減っているわけですから、痛みを感じるのも半分に減っているわけです。

申し上げておきたいこと―L瑤枠省に


それともう一つ重要なことは、薬の飲み方です。歳をとると薬は半分くらいにするほうがいい。なぜかというと、歳をとって真っ先にやられるのが腎臓なんです。腎臓というのは、身体の中のいらないものを外に出すことが仕事です。ところがそれがやられる。そうすると薬を飲むと副作用が出やすくなるわけです。

申し上げておきたいこと―せ扱遒飽貪戮楼綣圓亡蕕鮓せましょう


医者が自分の首を絞めるようなことばかり申しましたが、ただ調べるときはきちんと調べるべきだと思います。特にこのあたりはお商売をされている方が多いわけですが、癌の場合、早く見つけるとうまく手術することができます。手術すると誰しもわかっているわけですから、自分の商売をどうするかとか、どうたたむかなど考えることができるわけです。ところが遅れて発見されると、入ったきりでそのまま天国に行くのでは、お店も困るし、家族も困るわけです。だから歳をとったら健康状態をチェックすることはきちんとやるべきです。三ヶ月に一回くらいは、かかりつけの医者に顔を見せにきなさいと。一番大事なことは、検査値よりも何よりも顔つきです。といっても三月に一回CTをとる必要はありません。CTというのは何もなければ一年に一回で十分ですし、前立腺がんの疑いのPSAなどは二年に一回でいいわけです。ですから歳をとると身体のチェックは必要ですが、治療を受けたり手術を受けたりするのはよくよく考えなさいというのが、身体の健康についてのお話です。

四、まちの健康

職住共存のありがたさ


住まいと仕事がひっついているところで人生を送れるほど、すばらしいことはないと私は思っています。私は京都の人間ではありませんし、あっちこっち行って、京都大学でかなりの人生を過ごして、今は三条高倉で働かせていただいておりますが、一番ありがたいことは、ここで働いて、だんだん少しずつ顔見知りが増え、こういう場で話をする機会をいただくことにもなった。これは非常にありがたいことだと思っております。

生まれ育ったまちで生涯を終えるということ


人間というのは、歳をとってどんなにぼけていようが、頭がはっきりしていようが、自分が生まれ育ったところで、生涯が終えるのが、一番幸せだと思うんです。その意味で気の毒なのは、家の中で面倒を見切れなくなって(当たり前の話ですが)、老人施設のある遠いところにいかなければならなくなったお年寄りです。それこそハイキングに行くようなところに行くというのでは、気の毒ではないか。だからまちの中に、十人くらいの小さな老人ホームをつくって、私のようなまちの医者が診ていくと。みんな病院で死にたいと思っているわけではないですから。病院に行かないとしょうがないから行っているわけです。僕も病院で死にたいとは思っていません。できればいつもの格好で、テレビでも見ながら、「あれ、おじいちゃん、なんや息してないよ」といわれるのが一番幸せやなと思っているんです(笑)。できれば生まれた所で学校を出て、生まれたところで仕事をして、生まれた所で老後を送れるというのが、僕は絶対幸せなことだと思うんです。あっちこっち行くのが幸せなのではない。地方の教育県の悲劇ではないですけれども(僕は正直悲劇だと思っています)、この京都の中京のように、なんとかこのまちを保って、生まれた所で歳をとることができたら、それが一番の幸せではないかということを申し上げて、僕の話を終わらせていただきたいと思います。
プリンタ出力用画面 友達に伝える