姉小路Who's Who 第3回

そば料理店 わたつね 店主 中塚 博己 氏

「蕎麦よりうどん」という関西人の価値観が少しずつ変化してきたのは、いつ頃からでしょうか。近年の健康志向が後押ししたのか、いつの間にか京のまちなかにも、たくさんのお蕎麦屋さんを見かけるようになりました。

 中塚 博己 氏

さて、今回の姉小路にんげんマップにご登場いただくのは、界隈の皆さんにはお馴染みのそば料理店「わたつね」さんの店主、中塚博己さんです。中塚さんは、大阪外語大イスパニア語学科を卒業後、海運会社にお勤めになり、三十一歳の時に家業の食堂を継がれたという経歴の持ち主。最近ではその語学力を生かし、海外との「蕎麦交流」の輪を広げていらっしゃいます。和食のイメージの強い蕎麦ですが、実はこの蕎麦、パン、ケーキやリゾットと姿を変えて、世界各国で食べられているグローバルな食材。今回はそんな蕎麦の日本独自の調理法である「手打ち蕎麦」の実演と、試食会を兼ねた、文字通り美味しい講演会となりました。皆さんに手打ち蕎麦の味と香りを堪能していただけないのが残念ですが、エッセンスだけでもお届けしたいと思います。お味見の方は、どうぞあらためて「わたつね」さんの方に、お運びくださいませ(笑)。

そばのお話

そば料理店 わたつね 店主 中塚 博己 (国際蕎麦研究者連合日本支部会員)

一、はじめに

写真 白い花の咲く蕎麦畑

この地で昭和三十二年、父の代から商売を始め、皆さんのおかげで今日まで続けさせてもらいました。今日は手打ち蕎麦の実演をしながら、蕎麦の話を中心にお話しさせていただきたいと思います。

世界で蕎麦は300万トンくらい採れるのですが、日本で採れるのは、たったの3万トン、ですからたったの1パーセントで、足らない分は輸入しています。その日本ではどのくらい消費しているのかというと、約5パーセント程度で、あとの95パーセントは海外の人が食べているわけです。ですから外国へ行くと「日本人も食べているのか」という話になります。でもこの手打ち蕎麦は日本人でないとできません。中国人も韓国人も近くではあっても、こういう打ち方はしません。ですから皆さん手打ち蕎麦をご覧になると、びっくりしてくれはるわけです。

日本には蕎麦の四大生産地があります。一つは北海道、二つ目は東北地方、三つ目は信越地方、さらに四つ目は九州南部です。鹿児島、宮崎、熊本と、おいしいそばや蕎麦焼酎がありますね。蕎麦は北のほうから順番にできていきます。まず北海道が八月の初め頃に出来て、順次南へ下って、最後が鹿児島で十二月の始めくらいの収穫になります。京都はどれくらい蕎麦を生産しているのかと言いますと、だいたい100トンくらいです。今は綾部市とか美山町とか色んな所で作っています。我々は美山町鶴ヶ岡の農家の方々と契約して、作ってもらっているのですが、もうまもなく夏になったら植える分でだいたい10トンくらいになります。

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二、木鉢の作業

水まわし

写真 水まわしの実演

玄蕎麦(米は玄米ですから、蕎麦は玄蕎麦です)の皮を剥いて石臼で挽くと、蕎麦粉になります。今日は1kgを二八蕎麦で打ちます。200グラムの小麦粉と、石臼挽きの美山の蕎麦粉800グラムを合わせて、ふるいにかけます。手打ち蕎麦には、大きく分けて3つの手順があります。木鉢での作業とのし台での作業、包丁の作業とあるわけですが、一番難しいのが木鉢の作業です。この作業がうまくできないと、あとなんぼきれいにできたように見えても、繋がってないという状態になります。

この1kgの二八蕎麦に500ccの水を、三回に分けて含ませます。水は地下75メートルの井戸水を使っています。この段階で一粒一粒に水がまわるように、丁寧に攪拌します。一切力は入りません。あくまでまぜるだけです。最初はパン粉のような粉になって、おからくらいになって、だんだん空豆くらいの大きさになるというように、均等に水が一粒一粒のそば粉にまじるようにまぜます。

これで水500ccに二八蕎麦のそば粉が1kgで1500グラムになって、だいたい十一人前です。これだけ作るのに30分かかるわけです。いつもは2kgで打ちますから、やはり40分くらいはかかって、それで22人前くらいしかできないということです。この水回しが一番重要で、この作業がきちんとできてないと、あときれいに包丁で切って、きれいな麺ができたと思っても、茹がいたらパラパラになります。それでみんな、三年間ほど泣くわけです(笑)。

中塚 博己 氏

練り

次に「練り」に入ります。ここから力を入れて、粒子をつぶしていきます。これによってつなぎである小麦粉のグルテンと蕎麦が持つわずかなグルテンとを足して、つながるようになります。うちは機械と手打ちと両方やっているんですが、機械と手打ちの違いはどこにあるかと言いますと、この「練り」の作業が機械はできません。では機械はどうしているかと言いますと、圧縮をかけてひっつけてしまうんです。その辺が違う。手打ちのおいしさがどこから出てくるのかと言うと、この「練り」があるということと、機械と違って手の体温が徐々に生地に伝わる、そういう二つの特色ではないでしょうか。

おそばは世界中で食べられていますが、こね鉢を使ったり、めん棒を使ったりというのは、日本だけです。中国や韓国では、糸こんにゃくを作るような機械に入れて、上から押して、下のお湯の中にぽとんと落とすという手法で、「押し出し麺」と言います。

お蕎麦の原産地は中国の雲南省です。それが日本には、朝鮮、韓国を伝って入ってきました。またシルクロードを伝って、まず東欧、それからイギリスやフランス、イタリアやドイツに伝わりました。また、オランダ人がアメリカへ移民した時に、ハドソン川で植えたのが蕎麦でした。だからアメリカでは最初はみんな蕎麦を食べていたんですね。ところが品種改良が進んで、小麦とかお米が寒い所でもできるようになると、蕎麦がだんだん追いやられて、生産量は伸び悩むようになりました。

くくり

これで「くくり」という段階に入ります。練り上がったものを、真ん中へ寄せて、くくってきて、へそ出しをして、空気を抜き、円盤にします。同じ長さの蕎麦をつくるためには、最終的に生地を四角にもっていかねばなりません。そのためにはまず丸にするわけです。しかもまん丸で同じ厚みにしておかねばなりません。

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三、のし台の手順

丸出し

ここからのし台を使います。のし台に「はな粉」をふります。「はな粉」は蕎麦の実の真ん中の粉なんですが、水分を吸いませんので、生地を処理する時もそうですし、切った後も、麺がひっついてほぐれないということのないように、この粉を使います。そば粉の中でも一番高いのは、ちょっとしか採れないためです。もちろん回収して、ふるいにかけてまた使いますが、ただお蕎麦を湯がいた時に、これがついていますので、そば湯を飲んでもらったら、蕎麦の真ん中から外側までの栄養分がとれるということです。蕎麦は、小麦やお米よりはるかにビタミンとミネラルを豊富に含んでおりますが、これらは水溶性ですので、ゆがいたら一部がお湯に溶けてしまいます。ですから京都にそんな習慣はなかったんですが、そば湯を最後に余った出汁に入れて、飲んでもらう。そうすると非常に栄養価の高いものが、目減りをせず食べられるわけです。

さて、その「はな粉」をふったのし台の上で最初に出来た円盤を手で一回り大きくします。原則は同じ厚みでまん丸でないといけないということです。

ここからめん棒を使って、少しずつ円を大きくします。この円、どこも同じ厚さになっているか、どうやって確かめるかと言いますと、めん棒の感触と、生地の影の高さを比較して見ます。しかし一番わかりやすいのは、ちょっと手で持ち上げてみて、指にかかる目方ですね。

四つ出し

次に「四つ出し」と言いまして、四角にもっていく手順です。まずまん丸から楕円に、楕円から正方形に持っていきます。生地がちょっと緑がかっているのがおわかりいただけるかと思います。これは去年の秋に採れた蕎麦ですが、最近は技術が発達してきまして、真空パックで保存しておきますと、酸化しないために、きれいな色で新鮮に保存できます。

本のし

ここから先は「本のし」と言いまして、だんだん力を加えて、正方形から長方形にのし、さらに薄くして、ムラになっている部分はめん棒で修正していきます。お蕎麦が日本の文献に初めて出ているのは、「続日本記」の養老六年(七二二)七月十七日です。女帝の元正天皇が「お米がたくさんできないから、すぐ蕎麦を植えよ」と言ったのが、書面に残る最初の蕎麦に関する記述です。中国では、やはり唐の時代の「月明らかに蕎麦花は雪の如し」という白楽天の詩は有名ですが、もちろんそれより先に中国の文献にも出ています。ヨーロッパなどは十四世紀から十六世紀の辞書に英語やイタリア語、ドイツ語の『蕎麦』という言葉が残っています。

写真 講演風景

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四、包丁の手順

たたむ

この後「たたむ」作業です。多めの「はな粉」をふって、生地をたたんでいきます。ここで「はな粉」をふるのは、切った後ひっつかないようにするとともに、麺自体が空気に触れないようにという意味もあります。

切る

写真 蕎麦を切る

次に「切る」という作業に入ります。切るためには、手で押さえて均等に切れるようにこま板(定木とも言います)を使います。蕎麦切り包丁は33㎝、一尺一寸です。まっすぐになっていまして、蕎麦切り専用で、他に何も使い道はありません。包丁を左へちょっと倒しながら、こま板を左へ進めております。いくらでも太く切れますし、いくらでも細くきれるんですが、同じ太さに切るということですね。

この前、フィンランドとエストニアに行って、にしん蕎麦を食べてもらいました。こんなふうに蕎麦を通じて国際交流をするようになったのは2005年からです。今から30年くらい前に偶然うちの店に来たスウェーデン人のお客さんとの文通が縁で、日本文化祭に05年と08年に招かれることになりました。今年はそこからの繋がりでフィンランドから招待がありましたので、フィンランドのジャパンデイとエストニアで蕎麦打ちの実演をしたわけです。

今までの経験から言うと、寒い時期に冷たいお蕎麦よりも、やはり温かいお蕎麦を喜んでもらえるようでした。向こうはニシンはなんぼでも食べますので、ニシンもお蕎麦も喜んで食べて頂きました。このニシン蕎麦、実はメンバーを選んで講評を聞く会を開いたんですが、「間違いなく美味しい」との評価を頂きました。世界中でそば粉や蕎麦の実は食べられていて、私も色んな国の色んな調理法の蕎麦を食べましたが、どれも油っぽい。そのためでしょうか、若い女の子でも、よく太っているんですね。ですから日本食が非常に注目を集めていまして、向こうの寿司屋は押すな押すなの大盛況です。向こうにそば屋を開いたらさぞかし流行るんでしょうが(笑)。実は国際蕎麦シンポジウムが三年に一回開かれ、一昨年は中国で、十五カ国程の多くの学者や研究者と交流します。来年はロシアであり、参加を予定しております。

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五、まちが子どもを育てるということ

少しずつでも地域にお返ししていければと…

うちの次男坊も東京での五年間の修行を終えて、この五月に帰ってきました。最近召し上がっていただいているのは、息子の打ったお蕎麦です。また石臼挽き自家製粉のことも研究しております。

私自身、柳池中学で教育を受けて、また息子も娘も受けて、お陰様で育てていただいたんですけれども、明日から一週間、京都御池中学の子が二人「チャレンジ体験」ということで来てくれます。もう今年で八年か九年くらい続いているかと思います。その子らにも、必ず蕎麦打ちと、魚の三枚おろしをしてもらっています。もちろん掃除もやってもらいますけど。去年来た子は非常に器用な子で、一人の子は大晦日にもここで打って、担任の先生らにも食べてもらいました。フィンランドには連れて行けませんので、「フィンランドジャパンデー 手打ち蕎麦実演」と大きなポップを署名入りで書いてもろて、行った気になってくれということで(笑)。あと京都新聞の書き初めに入賞した京都御池中学の子の作品も九枚持っていって、ジャパン・デーに展示してもらいました。

写真

幸いチャレンジ体験だけではなくて、京都御池中学の社会人ボランティアの英語講師としても行っているんですが、英語を勉強したらこんな楽しい事ができるということを、一生懸命、話しています。僕は中学の後、同志社高校に行きましたけど、一番の基礎は柳池中学の時の英語なんです。中家甚平先生(故人)のおかげで、その時既に外人のような発音ができた。その資料を持っていますので、コピーを皆に配ってやると、喜んでもらってくれます。

そんな形で、自分の子は自分だけでは育てられませんから、地域の方々にお世話になって、また僕ができる範囲で、余所さんのお子さんを預かって育てるという形でお返ししたいと思っています。僕も六十一になりましたので、人生の五分の一くらいは、地域にお返ししていかなあかんなと努力しているところです。

親戚の加藤登紀子と。家族も蕎麦のように細く長く…▲

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